「連雀縄」の名称にゎ 思ぃ当たりませんでしたが(前日の記事参照)
「連雀」そのものにつぃて 調べてる内に
晴雨の書ぃたもののなかに 「連雀」 そぉぁったことぉ 思ぃ出しました
その代表的なものが ~非小説『性液』~ デス
非小説『性液』ゎ 伊藤晴雨が 奇譚クラブにて
1954年(昭和29年)2月号から 1955年(昭和30年)2月号まで 連載した読み物で
明治38年頃ぉ 舞台にした
責め場ぉ多く含む 演劇、芝居、見世物ぉ中心に それぞれの 人間模様ぉ描ぃたもので
“非小説”と ぁるよぉに ほとんどの記述ゎ 事実に基づぃてぃるのでゎ と 考ぇられてぃます
ぉ芝居のなかの 責め場の演出で
吊し責めの際 用ぃる 「連雀」につぃて 詳しぃ記述がぁります
【責場の女を吊し責にするのには 普通 連雀(レンジャク)を用いる。 連雀という名は何から出たかといえば、地方の“木こり”などが 柴を背負って行く時に使用するものを 一層簡略にしたもので、 これを 責められる女形の胴体に背負わせて、其の連雀に 吊し責の細引を通して 人体を吊し上げる仕掛けになって居るから、 縛られる縄と吊るされる縄とは関係がないので 長い時間吊るされて居る事が出来るので、 此連雀は宙乗りにも使用されて 相当高価なものであるが、これの無い場合は 布連雀というものを使って 責めの女を吊し上げる場合がある。】
近年の演劇にぉぃても 宙乗りゎ 見られますし
その仕組みの 最も原始的な 舞台装置のよぉなものなのでしょぅ
明治の頃より(実ゎもっと以前からなのか)
舞台上、見世物でゎ そんな風に 行ゎれてぃたのかもしれませんが
実際の艶事 秘め事として 女ぉ 吊り責めするとなると
『晴雨秘帖』のなか 「【晴雨秘稿】吊り責めを撮る」 の文中
“矢鱈に梁に吊し上げて 何日もそのままにしておいたと云うような 架空小説の如き” や
“自己の体験と称して 真実を装った体験記” 等 書ぃてぉり
大袈裟な描写に対して
「馬鹿を云ひなさんな」 と 晴雨ゎ 実に冷ややかなのデス
リアルな責め場ぉ 描くため 実験ぉ繰り返し
数多くの 観察記録のよぅなぉ写真ぉ残した 晴雨らしぃ言葉デス
同じ『晴雨秘帖』のなかにゎ
(晴雨の記憶でゎ 大正9年の秋頃) 実際に試して 吊るした時の記述もぁります
その時ゎ 吊り上げる とぃぅより
縛った女ぉ 踏み台に立たせ その踏み台ぉ取り除く とゆぅ方法で
すると 女の唇ゎ 3~5分で紫色ぉ帯び 口許にゎ 痙攣が起こり
やっと一枚ぉ撮って 踏み台ぉ戻し縄ぉ下ろすと 女ゎ 半ば失神状態
苦労して撮った写真も まったく 使ぃ物にならなぃもので
「その寫眞(写真)は 全くものにならないほどマヅイ型で
〔中略〕
枝もたわわに風に揉まれる風情などどこにもなく、至極平凡な棒立ちになっている。
馬鹿馬鹿しいような不器用な形である。
こんな詰らぬ寫眞に骨を折ったのが 腹立たしくなってきた。」
晴雨ゎ そぉ記してぃます