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the Love Bug


以前 父がサロンぉ開ぃてぃた頃の 古株会員さまたちに

今でも 時々 会ぅ機会がぁります

 

大勢 ぉ集まりのときゎ みんなで ワイワイぉ話しするのデスが

少人数のときナドゎ

その内の何人かの方と 二人きりで ぉ話しさせてもらったりもします

 

先日 そんな場面で ぉ話しした方々皆さん 口ぉ揃ぇて

 

「いやぁ 蓮ちゃんのあの頃の縄酔いは凄かった!」

「初めて見たな~ あんなヒドイ娘(笑) 凄すぎて噂になってたぐらいだったんだから!」

「父は父で 何だかあそこでやったことないよーな縛り 始めるし!」

 

 

父に 縛られ始めた頃の記憶が まったく ぁりません

 

上の胸縄が 充てられた瞬間 意識がとんでしまぃ 正座もままならなぃ状態で

 

そんな蓮ぉ 父ゎ 膝と膝で挟み込み 倒れなぃよぉにして

何とか 縛ってぃたよぉデス

 

気がつくのゎ すっかり 縄も解かれた後で

 

横たゎる蓮の上にゎ 父の作務衣が掛けられてぃて

縄痕の残る 手首ぉさすりながら ゆっくり起き上がると

 

「蓮ちゃーん おかえりー!」 

「蓮ちゃん 起きたのー?」 と テーブル側にぃる方々が 笑ってぃるのデス

 

 

こんなことも ぁりました

 

父のところに行って 4、5回目位のとき

ぃつもよぉに 父縄で 意識ぉ失ぃ

意識ぉ失ってる間に その日ゎ ゎんさか人が集まってぃたらしく

 

蓮が 目ぉ覚ますと

裸に 父の作務衣が掛けられただけの 蓮のまゎりにゎ

大勢の男の人が 覗き込むよぅに 取り囲んでぃて

 

蓮ゎ 何がなんだか ゎからなくなって 泣ぃてしまぃました

 

泣ぃてぃる蓮に 気づぃたY姉が 蓮のところにとんできて

「何か嫌なことされたの?! 嫌なことはハッキリ言わないと駄目よ!」

そぉ 声ぉかけてくれたのデスが

 

蓮ゎ

《イヤとかぢゃなくて ぃつのまにか 大勢ヒトがぃて…  気がつぃたら 囲まれてて…  それで ビックリして…》

《意識がなぃ 自分のことが怖くなって… 涙がでた》 そぉ答ぇました

 

Y姉ゎ 何事もなかったことに安心したらしく

まだ その場所に慣れてぃなかった蓮に こぉも教ぇてくれました

 

「それならもう泣いちゃ駄目よ。 嫌な思いする人もいるから。」

 

 

蓮ゎ ぁの場所で たくさんのことぉ 教ゎりました

今でも 身近にぃる方から 教ぇてもらぅことばかりデス

 

Y姉 元気かな

 

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First Contact

  • 2013年08月22日

First contact ・・・ 2010,02,23

 

 

 

 

 

The 18th day

  知らんでぇ~? 人形にされるでぇ~?

 

 

 

The 28th day

  いつかやられちゃうんだよ。 わかってるやろ?

 

 

 

The 36th day

  酔った。。。  穏やかにゆっくりゆっくりイジメたる。

 

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連雀~非小説『性液』~より

  • 2013年08月21日

「連雀縄」の名称にゎ 思ぃ当たりませんでしたが(前日の記事参照)

「連雀」そのものにつぃて 調べてる内に

晴雨の書ぃたもののなかに 「連雀」 そぉぁったことぉ 思ぃ出しました

 

その代表的なものが ~非小説『性液』~ デス

 

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非小説『性液』ゎ 伊藤晴雨が 奇譚クラブにて

1954年(昭和29年)2月号から 1955年(昭和30年)2月号まで 連載した読み物で

 

明治38年頃ぉ 舞台にした

責め場ぉ多く含む 演劇、芝居、見世物ぉ中心に それぞれの 人間模様ぉ描ぃたもので

 

“非小説”と ぁるよぉに ほとんどの記述ゎ 事実に基づぃてぃるのでゎ と 考ぇられてぃます

 

 

ぉ芝居のなかの 責め場の演出で

吊し責めの際 用ぃる 「連雀」につぃて 詳しぃ記述がぁります

 

 

【責場の女を吊し責にするのには 普通 連雀(レンジャク)を用いる。 連雀という名は何から出たかといえば、地方の“木こり”などが 柴を背負って行く時に使用するものを 一層簡略にしたもので、 これを 責められる女形の胴体に背負わせて、其の連雀に 吊し責の細引を通して 人体を吊し上げる仕掛けになって居るから、 縛られる縄と吊るされる縄とは関係がないので 長い時間吊るされて居る事が出来るので、 此連雀は宙乗りにも使用されて 相当高価なものであるが、これの無い場合は 布連雀というものを使って 責めの女を吊し上げる場合がある。】

 

 

近年の演劇にぉぃても 宙乗りゎ 見られますし

その仕組みの 最も原始的な 舞台装置のよぉなものなのでしょぅ

 

明治の頃より(実ゎもっと以前からなのか)

舞台上、見世物でゎ そんな風に 行ゎれてぃたのかもしれませんが

 

実際の艶事 秘め事として 女ぉ 吊り責めするとなると

 

『晴雨秘帖』のなか 「【晴雨秘稿】吊り責めを撮る」 の文中

 

“矢鱈に梁に吊し上げて 何日もそのままにしておいたと云うような 架空小説の如き” や

“自己の体験と称して 真実を装った体験記” 等 書ぃてぉり

 

大袈裟な描写に対して

「馬鹿を云ひなさんな」 と 晴雨ゎ 実に冷ややかなのデス

 

リアルな責め場ぉ 描くため 実験ぉ繰り返し

数多くの 観察記録のよぅなぉ写真ぉ残した 晴雨らしぃ言葉デス

 

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同じ『晴雨秘帖』のなかにゎ

(晴雨の記憶でゎ 大正9年の秋頃) 実際に試して 吊るした時の記述もぁります

 

 

その時ゎ 吊り上げる とぃぅより

縛った女ぉ 踏み台に立たせ その踏み台ぉ取り除く とゆぅ方法で

 

すると 女の唇ゎ 3~5分で紫色ぉ帯び 口許にゎ 痙攣が起こり

やっと一枚ぉ撮って 踏み台ぉ戻し縄ぉ下ろすと 女ゎ 半ば失神状態

 

苦労して撮った写真も まったく 使ぃ物にならなぃもので

 

 

「その寫眞(写真)は 全くものにならないほどマヅイ型で

   〔中略〕

枝もたわわに風に揉まれる風情などどこにもなく、至極平凡な棒立ちになっている。

馬鹿馬鹿しいような不器用な形である。

こんな詰らぬ寫眞に骨を折ったのが 腹立たしくなってきた。」

 

晴雨ゎ そぉ記してぃます

 

琴線①


画報風俗奇譚1961年2月号

  • 2013年08月20日

父が 自宅で ぉ仕事ぉしてる間 蓮ゎ 同じ部屋で 静かに過ごします

 

父のところにゎ 蓮が好きなものが たくさんぁるので

ぉ仕事の進み具合ぉ や や で感じながら

蓮ゎ 静かに過ごします

 

そんな時間に

古ぃ御本や 雑誌の最新号等も 見せてもらぅのデスが

先日ゎ 『画報風俗奇譚1961年2月号』ぉ 隅から隅まで 何度も見返しました

 

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「女体責め悦虐画集」 「(絵物語)山小屋のいけにえ」 「異常な性風俗展覧会」

 

その様なタイトルが 目次にぁる その号で

蓮が 一番興味ぉ惹かれたのゎ やはり

「女性刑罰史絵巻」 と題した 16種の縛りの ぉ写真デス

 

 

資料としての価値や 縛りの内容等 少しばかり 怪し気だったりするのデスが(笑)

それでも 古ぃ時代のぉ写真ゎ 何とも言ぇぬ 雰囲気がぁります

 

 

そして 蓮が とくに興味ぉ持ったのゎ それぞれの 縛りのぉ名前デス

 

ぁまり聞きなれなぃ ぉ名前が多く・・・

 

ただ 緊縛ゎもとより 捕縄術につぃても まだ 学び始めたばかりの蓮デスから

過去 無数に存在したと言ゎれる 各流派での呼び名ぉ

もちろん すべて把握してぃるゎけでもなく

 

なので ただ蓮が 知らなぃだけなのかも知れません

 

 

その中で 縛りの形としてゎよく蓮も知る こちらの 『れんじゃく縄(連雀縄)』

 

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『連雀縄』 ゎ 他の資料等でゎ

主に『菱』とゆぅ文字が入った名で 表されることが多ぃとゆぅ印象なのデスが

 

でも たしかどこか(緊縛関係)で

『連雀』につぃて かなり詳しく書かれてぃたとの記憶が。。。

 

 

はっきりしなぃまま 先ずゎ

よく地名にも登場する 連雀そのものにつぃて 調べてみました

 

 

連雀(連尺) … 板に縄をつけ、荷物を背負うようにした道具】

 

なるほど。。。 かちかち山のタヌキさんが 背負ってたアレとぃぅゎけデスね

(グラビア右下隅に 画像ぉ貼り付けました)

 

 

それぉ模した縛り とのイメージで 『連雀縄』 なのだと 理解しましたが

どこかで 頻繁に目にした『連雀』の言葉

 

 

それにつぃても 蓮ゎ 思ぃ出しました

 

晴雨デス

 

伊藤晴雨が “吊り”につぃて 書ぃたものの中に

詳しく記されてぃたのぉ 思ぃ出しました

 

 

明日ゎ 晴雨の 非小説『性液』 より 少し取り上げます

 

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鬼畜


父からゎ ずっとずっと 声ぉ上げなぃよぉ 躾けられてきました

 

 

考ぇられなぃよぅな 厳しぃ責め縄 残酷な吊り責め

 

蓮の身体ぉ 破壊するよぉに 振り抜かれ また 打ち落とされる

一本鞭 や 靴ベラ  折檻棒

 

 

蓮が 声ぉ上げる度に

 

声出すな。》

 

 

小さく 時に 恫喝もし

蓮ゎ 父に ずっと躾けられてきました

 

 

だからこそ 1400度ぁる 蝋燭の炎で 直に 焼かれたときも

 

肌ぉ なめす 炎で

肉が ジリジリと 焼け焦げてぃるのゎ ゎかってぃましたが

声ぉ出すこともなく じっとして動かなぃので

 

ぁの場にぃた 誰一人として 惨劇にゎ 気づきませんでした

 

(一番の責め場に 誰一人気づかなぃ 折檻ショー)

 

 

 

それが 最近

 

その 声ぉ上げなぃ蓮に

 

父が 自分で そぉ躾けた蓮に

蓮がたまらず叫んでしまぅほどの 酷ぃことぉ します

 

 

時間ぉかけ 丁寧に躾けた蓮が

禁ぉ破り たまらず上げる 叫び声 。。。

 

 

父が 震ぇてぃるのが ゎかります

 

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軍艦アパート (写真展「世界が失った時を求めて」より)


先日 新宿座で開かれてぃる

廃墟探索部 同人写真集展「世界が失った時を求めて」

こちらの写真展に 伺ぃました

 

一部で “廃墟ブーム” などと 呼ばれるほどデスが

そのムーブメントぉ感じるほど 蓮が訪れたときも 大盛況で

 

ぉ写真ぉ見る 視界の中に

他の来訪者の方が入らなぃよぉにするのに すこし待ったりもして 拝見しました

 

軍艦島 や チェルノブイリ等 有名な場所のぉ写真も

規模の大きさゆぇ 朽ちてなぉ感じさせるパワーがぁり 見応ぇのぁる ぉ写真でしたが

 

蓮の もっとも印象に残ったのゎ

『軍艦アパート』 と 呼ばれる 大阪市営下寺住宅の ぉ写真デス

 

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父の故郷が 大阪だから… とぃぅのも ぁるのかも知れませんが

 

ぉ写真ぉ見て その特徴的な作りゎ

蓮が幼ぃ頃 東京の 下町にぁった団地にも 時々見られた構造でしたので

それぉ とても思ぃ出したからなのデス

 

 

軍艦アパートゎ 大阪市浪速区に在った 集合住宅で

1930年 完成した当時

鉄筋構造 全室戸別に「水洗トイレ」や「ダストシュート」「かまど」が備ぇられた

非常に 近代的な公営住宅だったそぉで

 

炊事時になると 各家庭の かまどに熾される火で

屋上の煙突から 一斉に黒煙が立ち上った その様子から

『軍艦アパート』と呼ばれるよぉになったそぉデス

 

そして後年 手狭になった 2Kの間取りぉ補ぅために

住民が 無許可で増築した「出家(でや)」が その独特の景観ぉ見せてくれる建造物デス

(東京の団地にも 出家がぁりました)

 

 

他にも 『摩耶観光ホテル』等

心に残った場所 ぉ写真 多数ぁりました

 

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廃墟探索部 同人写真集展「世界が失った時を求めて」

2013/8/6 (火) 〜 8/18 (日)

 

期日ゎ 本日までとなってぉります

 

ギャラリー新宿座  http://shinjukuza.jp

 

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6:3:1


良ぃ思ぃ出ゎ 6割

 

辛ぃ思ぃ出ゎ 1割

 

そして どちらでもなぃ思ぃ出ゎ 3割 。。。

 

 

 

「記憶」 が 「想ぃ出」 に 変ゎるとき

 

人ゎ皆 その記憶 経験ぉ 整理

記憶の中身までも 心の中で 変化させるとぃぃます

 

 

壊れて しまゎなぃ よぅに

 

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Shōgun


《蓮 オレな 将軍なろ思うんやけど 。。。》

 

 

 

 

 

《蓮♡ やっぱなるー♡  ショーグン!!♪ 

 

 

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すぐ 飽きると思ぃますので 今しばらく 御付き合ぃ下さぃませ

ぁ 面倒でしたら放ってぉぃて大丈夫デス


スーベニール【Souvenir】


時々 こちらでも ぉ話しする

とても 女として幼ぃ頃 蓮が 唯一 性的な行為ぉ 受け入れられた元彼

 

 

彫り師の彼ゎ とても忙しく

一年、365日の内 360日ゎ 確実に 仕事ぉしてぃました

 

地方や 海外に招待されての仕事以外ゎ

 

自宅が 自宅兼スタジオだったときゎ そこに 一日中

 

別々にしてからも 自宅かスタジオに 缶詰めで過ごすのが日常でした

 

 

小さなものゎ その場で 直接彫ることもぁりましたが

彼ぇのご依頼ゎ 大きな絵柄 ・・・

 

それも 彼のデザインに惚れ込む

熱狂的なファンのぉ客さまが 多かったので

 

世界に一つだけの オリジナルのデザインぉ 注文されることがほとんどで

実際の施術前 そのための下絵ぉ描くのに 大変な時間ぉ割ぃてぃました

(下絵ゎ ほとんどの方が 記念に ぉ持ち帰りになります)

 

 

彼が 何枚も何枚も 絵ぉ描ぃてるぁぃだ

蓮ゎ そばにゎぃますが こちらから話すことゎなく

本ナド 読んで 過ごしました

 

ときどき彼が 「ここの色 どっちがいいと思う?」と 蓮に訊くので

蓮ゎ デスクに座る彼の横に行き 蓮の考ぇぉ 話します

 

 

彼ゎ 蓮に 酷ぃことぉ言ぃ 酷ぃ行為ぉするとき 以外ゎ

穏やかで 物腰も とても優しぃヒトでした

 

 

彼が 蓮ぉ デスクの下に入れます

 

傾斜のできる デッサン用のデスク デス

 

彼が 下絵ぉ描く間 フェラチオぉ します

(命令されなくても そぉゆぅことだと理解します)

 

 

ぁまり 上手にできなぃ蓮に

彼ゎ 彼の気が済むまで ずっとずっと させ続けます

 

そして 蓮から止めることゎ 決してぁりません

 

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清浄生掛『丹治蓮生堂』

  • 2013年08月14日

蝋燭が 日本に伝ゎったのゎ 奈良時代

仏教伝来とともに 中国から 蜜蝋燭がもたらされたのが 始まりと言ゎれてぃます

 

平安時代になると 蜜蝋に代ゎり 松脂蝋燭が

そして 櫨(ハゼ)の実ぉ使った 和蝋燭の始まりゎ 室町時代の頃だそぉデス

 

 

ただ 櫨の和蝋燭ゎ 高価な物で

江戸の後期でぁっても 裕福な商人やぉ武家さまが 主に使用し

ほとんどの一般庶民ゎ 菜種油の灯りぉ 使ってぃました

 

 

和蝋燭の特徴ゎ 蝋となる材料だけでなく その灯芯にも ぁります

 

 

乾燥させた イグサの髄ぉ 手作業で抜き取り

何枚もの和紙と 真綿ぉ巻ぃて作られる灯芯ゎ 太く 張りがぁり

そのため 西洋ロウソクに比べると その炎ゎ大きく

風に強くて 火持ちが良ぃのデス

 

神秘的に 美しく揺らぐのゎ 和蝋燭の構造が 中空でぁるからで

 

燃ぇながら

絶ぇず 酸素と蝋ぉ 供給し続けられるためデス

 

(ァァ ウツクシク ユラユラ モエナガラ タエズ アタエラレル ・・・)

 

 

 

今回 父が手に入れてくれた 和蝋燭

『丹治蓮生堂』 の ぉ品デス

 

 

和蝋燭の製造方法にゎ 大きく分けて 二種類がぁり

 

型に蝋ぉ流して作る 「型流し」 でぁれば 幾らか 大量生産も可能デスが

 

『丹治蓮生堂』 の 和蝋燭

手間も時間もかかる 「清浄生掛」 で 作られてぃます

 

絵看板にも 「清浄生掛」 の言葉が ・・・

 

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清浄 。。。 清らかで 穢れのなぃこと

生掛 。。。 芯に 蝋ぉ塗ってゎ乾かす 手作業ぉ繰り返すこと

 

 

直接的にゎ この様な意味ぉ 表しますが

古来より 日本人ゎ 蝋燭の明かりに

「穢れぉ清めるとぃぅ神聖な意味」ぉ 込めてきたことが ぅかがぃ知れるよぉな言葉デス

 

 

明治中期に創業された『丹治蓮生堂』

京都にぁってゎ 老舗とゎ言ぇなぃ歴史なのでしょぉが

 

今の四代目の 曽祖父が

当時 京で一、二とゆぅ 創業二百数十年の老舗蝋燭問屋に 徒弟奉公してぃたとき

何らかの事情で 閉店ぉ余儀なくされた そこの店主が

技術と伝統の継承ぉ 初代(曽祖父)に 託したとぃぅ

古の製法ぉ守り続ける 由緒ぁる 和蝋燭専門店デス

 

 

父ゎ こちらのぉ店が とても気に入ったらしく

蓮ぉ連れて 再訪すると 言ってぃました

 

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