“高尚” の 対義語として “低俗” とゆぅ言葉がぁります
とかく 趣味・趣向・芸術の世界でゎ
杓子定規な一般論として それが 低俗なものなのか 高尚趣味に値するものかによって そこに まるで 優劣でも存在するかのよぅに 語られたりもしますし
それゎ 時として
「善」 と 「悪」 とまでに ハッキリと 区別されてしまぅとゆぅ 現実がぁります
何が 高尚で 何が 低俗か ・・・
その定義付けゎ もぅ 個人のモノサシひとつ と 言ぅほかにゎ ぁりませんし
個人の定義付けに ゎざゎざ分け入って 異ぉ唱ぇるのゎ 筋違ぃと言ぇるでしょぅ
(個人が個人的に) 高尚と思ぉぅが 低俗と感じよぅが それぉ根拠に 他ぉ非難しなぃ限り
実質的にゎ 何の問題も起こりませんが
ただそれも 権威、権力ぉ 持ったぉ立場の そのモノサシとなりますと
それが評価として 多方面ぇの 圧力にも似た 働き掛けにもなってしまぃ 結果
高尚 ⇒ 優 ⇒ 善 低俗 ⇒ 劣 ⇒ 悪 とまで ひとっ飛びにも往きかねません
さて 先日も ぉ知らせ致しました
日本画家小妻容子三回忌追悼『小妻容子・空山基 二人原画展』
ぃよぃよ 本日から ご覧頂けるのデスが
かつて 故小妻画伯も 権威、権力のモノサシに由り 不遇の目に遭ゎれることも しばしばだったそぅで
英国 大英博物館より 【現代の浮世絵】 と 称賛され
「譲って頂けたなら 展示を・・・」 と 打診までされてぃたぉ話しぉ ビッグネームから聞かされ 余計に
どんなに曇った眼で 小妻画伯の絵が 見られてぃたかと思ぅと 本当に残念でなりませんし
生意気ぉ承知で 腹立たしくさぇ思ぇてきます
蓮の手元の 『晴雨秘帖』
こちらの帯にぁります 小妻画伯が寄せた コメントぉ ご紹介しましょぅ
晴雨秘帖
「晴雨は実質的には独学だと聞いているが、その時々の感情が筆先に表れる画家であり、その集中力にこそ見る者が深い感銘を覚えるのだと思う。 けれどこの種の絵画は、一部の好事家ののあいだにしか評価されていないのである。 秘画の秘画たるゆえんであろう。」 小妻要
小妻要とゎ 小妻容子の別名でぁり
同じ 稀代の責め絵師 として生きた 晴雨に贈られたこのコメントが
実に 重ぃ言葉に感じるのゎ 蓮だけでゎなぃはずデス
日本画家小妻容子三回忌追悼『小妻容子・空山基 二人原画展』
5月3日(金)~14日(火) 京都 京町家ぎゃらりーほりかわ
観覧料金 500円(18歳以下入場不可)
私は趣味で乗馬をしておりますが、誤解を恐れずに書きますと一般的に乗馬は高尚な趣味として認知されていると思います。
しかし、やっている事は人間でいう三歳児程度の知能を持った哺乳類を幼少期から調教し、皮製の馬具で拘束し、その背中にまたがって鞭を振るい、金属製の尖った拍車で蹴飛ばして不自然な格好でダンスを踊らせ、これをドレッサージュとフランス語風に云っています。
考え方によっては乗馬はSMと何ら変わらないばかりか、幼少期に洗脳してしまう事から始める訳ですからSMよりも残酷であり純粋でもあります。
育種といって優秀な(つまり従順で美しい)遺伝子同士で強制的に交尾をさせ(日本の法律で馬の人工受精が許されていない為)その子供を生まれた頃から洗脳し調教して作り上げてゆき、失敗作は馬肉となって食卓に並びます。
家畜人ヤプーなどはこれをそのまま人間に当てはめた様な世界観ですが、こういった乗馬の前提知識が有れば楽しく読めますが、そうでなければ衝撃を受け、低俗なものとみなされる事も有るでしょう。三島由紀夫が絶賛したのは、彼が乗馬についての知識を持っていた(実際に皇居で乗馬をしていた)事も関係しているかもしれません。
SMは、馬などよりも遥かに知能の高い、かつ、同じ種族の人間同士で調教し、或いは調教される訳ですから(目指すもの次第ですが)乗馬よりも遥かに難易度は高く、より高尚なものと見る事も出来ると思います。
そこに蓮さんの様な美意識が有るか無いかが高尚か低俗かの判れ目と成るのではないでしょうか?