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これもまた一つの純愛か(EDO Era, Necrophilia)


歌川豊国の 春画(艶絵) 『繪本開中鏡』 のなかに

 

「火葬場で死姦(屍姦)をする男」が ぁると知って

 

他にも 江戸時代の浮世絵や文学にそれらしき描写が きっともっとぁるのでゎと思ぃ

色々 色々と調べてみるものの そぉ簡単にゎ なかなか行き当たりません

 

 

そんななか 別の調べもの…

 

江戸時代の 今でゆぅ 出版社にぁたるところにつぃて 調べてぃた過程で

偶然 これゎと思ぅ一文ぉ 見つけたのデス

 

その文章ゎ 当時 花洛と称された 京都の 柏屋勘右衛門

宝永四年(1707)に 出版したと言ゎれる 『千尋日本織』のなかにぁりました

 

 

 

主人の娘 優れて美わしく、十五歳のころより痛わること侍りて 縁にも付かず、両親 いと惜しみ深くもてなしたまう。

(中略)

とかく月日重なり 病気重く、薬の業も叶わず、祈る験もなくて、

惜しきは十七の秋の霜と消えぬ。

(中略)

さすがこの世の別れ、またあるまじき面影の せめて変われるを見て思い切らばやと、薄衣を引きのけて伺うに、

顔貌世に美わしく 生まるる時に変わらず。

所々の温まりいまだありて いよいよ思いを増りて、この時わりなき一念起こり、空しき人に肌をふれて 世にもまれなる契りをぞ結びし。 (「千尋日本織」より)

 

 

 

若くして亡くなった娘の 美しぃ亡骸に 未だ残る 温もりぉ感じ

 

~ 空しき人に肌ぉふれて 世にもまれなる契りぉぞ結びし ~

 

 

これゎもぉ Necrophilia と言ぅよりも 一つの 純愛なのかも知れません

 

 

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