蓮のするぉ辞儀ゎ
ぉ客さまぇのものでぁると同時に
別の 大切な意味 大切な想ぃがぁります (「合手礼」より)
蓮ゎ ショーに出る際 まったく緊張とゆぅものぉしません
初舞台のときから そぉでした
ぃゎゆる 「緊張状態」にゎ なりませんが
ピンと 糸ぉ張ったよぉな
爪弾けばきっと良ぃ音が鳴る… 程よぃテンションに 置くことができます
ステージ上 姿勢ぉ正し
凛と正座ぉする そのときに
最高の音が鳴る 最高のテンションぇと もってゆくのデス
そして 合手礼。。。
父ぉ 迎ぇます
緊縛でぁれば 縛り手と 受け手
SM行為なら 責める側と 責められる側
父の その激しさ 残酷な折檻ゎ 観る方ぉも圧倒し
蓮ゎ 紙人形のよぉに
ぃつ チリジリになってしまっても ぉかしくぁりません
父が蓮に グイグイと 分け入ってくるさまゎ 事象として 目に見ぇるものなのデスが
実ゎ それと同じ位の激しぃ力で
蓮も 父ぉ 吸ぃ上げてぃるのデス
激しぃ力の その均衡が保たれてぃる場合 蓮ゎ まったく声ぉ上げません
父の分け入る力が勝れば 蓮ゎ ぅめき 時にゎ叫ぶことになります
そしてこれも 目に見ぇる事象
蓮の 吸ぃ上げる
父ぉ 吸容れる力が勝るとき
ほんの一瞬 父が 確かにたじろぐのぉ 蓮ゎ感じます
これゎ 蓮以外 けしてみることのなぃ 知覚に感ずる事象
(これがたまらなぃ滋味なのデス)
父に爪弾かれ 心地よぃ音ぉ出す その心得が 正座
そして
父ぉ吸ぃ上げ 吸容れる心得が 合手礼・・・ ぁのぉ辞儀なのデス
ショーが終ゎると 複数の方に 必ず言ゎれることがぁります
これまでにも 何度も言って頂きましたし
前回の「形代」でも
数名の男性(ぉ一人ゎ20代)が 蓮に感想ぉ下さったとき
同じよぅな言葉が その中にぁりました
暗転した会場 そのステージに 蓮ゎ大抵 1人で上がりますが
ショーの冒頭 舞台上で 凛と 正座する蓮が
然るべきタイミングで 滑らかに
深々と ぉ客さまぇぉ辞儀する姿に とても感動されるそぅなのデス
なかにゎ その時点で すでに涙される方もぃるとか…
日本人ゎ 様式美ぉ重んじます
様式美ゎ その形
見栄ぇや 見掛けだけでゎなぃ
その奥の 本質の有り方、美しさぉ表し
日本人に生まれるとぃぅことゎ
形ぉ 大事にしながらも
その形だけに 目ぉ奪ゎれることなく
本質ぉ 感じられる感性が 備ゎってぃるのだと思ってぃます
蓮が 正式に 父のパートナーとして舞台に上がった 最初のステージで
蓮が その準備として 真っ先に取り組んだのが
ぉ作法としての きちんとしたぉ辞儀ぉ 修得することでした
デスから今 蓮のぉ辞儀につぃて 触れて下さる感想ぉ戴けるのゎ
様式美に裏付けされたその本質が
少しづつでも ぉ伝ぇできるよぅになってきたのかもしれません
蓮のするぉ辞儀ゎ
ぉ客さまぇのものでぁると同時に
別の 大切な意味 大切な想ぃがぁります
それにつぃてゎ また 明日書きます
(今日のブログ記事ゎ 資料として 残酷な描写が含まれてぃます)
(嫌悪感ぉ持たれる場合もござぃますので 閲覧にゎご注意下さぃ)
「クロテイカズヒサ」 と 「グロテスク」
一昨日、昨日と ご紹介した 畔亭数久の作品の一部デスが
彼の(彼女の) 性的嗜好、嗜癖が どのへんにぁるのか 皆目 見当がつきません
緊縛に長けてぃるのゎ 間違ぃなぃのデスが
ただ 色々な作品ぉ 見比べれば見比べるほど 謎に包まれてしまぃます
その象徴的な作品の一つが
『轢殺〔鉄路に散る二輪の花〕』
絵とゆぅものゎ それが 人物ぉ描くものでぁったなら
その顔(表情)に 作者の特徴が現れ
登場人物の顔貌から 作家の判別がつぃたりもするのでしょぉが
『奇譚クラブ』に 掲載されるよぅな絵(挿絵)の場合ゎ
その根底に必ず 作者の強ぃ性的嗜好、嗜癖が 感じられるのが普通デスから
それぉ思ぅと 昨日の 『舞妓』ぉ描ぃたのと 同じ人物とゎ とても思ぇません
しかも 少女たちの表情・・・ その肉体ゎ
これでもかとぃぅくらぃ とても 丁寧に描ぃてぃます
切断され跳ね上がる下半身の すらりとした二本の脚も
千切れたハラワタが飛び出し 横たゎる様子も
丁寧に丁寧に 美しく 描ぃてぃるのデス
畔亭数久につぃてゎ 今後も 作品ぉ探してみたぃと思ってぃます
昨日とゎ ぅって変ゎり
畔亭数久ゎ 一切露出のなぃ 和服緊縛も 見事に描ぃてぃます
大抵の絵師ゎ その方の性的嗜好、嗜癖が 強ぃ拘りとなって その絵に表れてぃるものデスが
畔亭数久につぃてみると
例ぇば 昨日の絵にゎ 外国人女性のよぅな容姿、強ぃ意思ぉ持った女性、そして ストッキングまで丁寧に描く等 下着にも拘ってぃるよぅな気配がぁります
しかしながら 今日 ご紹介の絵ゎ
着物や 結ぃ上げた髪が 実に繊細で
着物の乱れ方の細部まで 非常に鮮明に描ぃてぃます
着物裾と足袋の隙間から ほんの少し 足首が覗く以外ゎ まったく露出のなぃ
正調とも言ぇる 和風の緊縛姿デス
しかも 昨日も書きましたが
施されてぃる縛りが 誇張された不自然なものでなく 正しぃ位置に縄筋が通る 実に正確な縛りで
その上 全体的に綺麗な絵… との印象とゎ 裏腹に
手首に施される縛りゎ とても厳しく
緊縛好きにゎ たまらなぃものがぁります
こちらの絵の中の文章にゎ
「クロテイカズヒサ」 そぉと 書ぃてぁるのデスが
「畔亭数久」ぉ
「グロテスク」と読ませたぃ との意思ぉ感じる絵ぉ
明日ゎ ご紹介します
「あたしをだましたのね」
どんなに忙しくても 必ず毎日 緊縛や (狭ぃ範囲での)SM関連の資料に目ぉ通します
以前から その名前ゎ知ってゎぃたのデスが
初めて目にした一枚目の画風が 蓮にゎ ぁまりピンとこなかったとゆぅことで
そこから 興味が進まずにぃた ひとりの絵師の
たまたま行き当たった別の挿絵に驚愕し
他のものも・・・ と 探してみたところ
縛りぁり フェチぁり 無残絵ぁり と
幅広ぃテーマぉ 実に美しく描かれてぃることぉ知って
遅ればせながら 急激にはまってぃるのデスが
蓮が 初めて目にした一枚目とゆぅのゎ
“SMpedia”の メインページにも使ゎれてぃる ぁの絵デス
(リンクゎ PCからのみ その絵ぉご覧頂けます)
畔亭数久
作品によって 「クロテイカズヒサ」と読ませたり
「グロテスク」と読ませたりしてぃるよぅデス
今回 ご紹介の作品に 縛りゎ ほんの少ししか描かれてぃませんが
何と言ぃますか 非常に正確で 無理のなぃ縄筋…
ご本人が 緊縛の手練がぁることゎ 間違ぃぁりません
人体も 歪みがなく 構造上の正しぃ姿勢で 描かれてぃるので
心に ひっかかるものがなく
絵そのものに 気持ちがスッと入ってゆけるので
蓮としてゎ その官能性ぉ 十分に味ゎぅことができるのデス
畔亭数久ゎ 作品によって まるで別人のよぅな絵ぉ描き
また 本人の性的嗜好、嗜癖が どの辺りなのかも かなり謎の人物デスので
もぅ少し 彼の作品ぉ ご紹介するつもりでぃます
抗議や供養としての 焼身行為(自殺)ゎ 歴史も古く
世界各国に その記録が残され
また 近年でも 痛ましぃことでゎぁりますが
政治的抑圧、宗教的抑圧ぇの 最も激しぃ抗議の意ぉ表す行為としての「焼身」ゎ 絶ぇることゎぁりません
蓮の好きなアーティストに
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against The Machine) とゆぅ アメリカのロックバンドがぃます
彼らの デビュー・アルバムのジャケットにゎ
旧サイゴンの アメリカ大使館前での
当時の政権による 高圧的な仏教弾圧に対する抗議としての ベトナム人僧侶焼身自殺のとてもショッキングな写真が使ゎれてぃて
燃ぇさかる炎の中 蓮華坐ぉ保ち続ける… 僧侶の 抗議の強ぃ意思ぉ感じざるぉ得ません
また 供養や 極楽往生ぉ願っての焼身も 歴史上の記述として残ってぃます
『長徳元年(995)9月15日 六波羅蜜寺の僧が、菩提寺の北辺で焼身供養し、花山天皇や貴族たちが見物した。』(「日本紀略」より)
この頃の焼身供養ゎ 焼身者の極楽往生だけでなく
それぉ見物する人も 共に 極楽浄土ぉ目の当たりにし
末の 浄土往生ぉ期待させるとゆぅ意味合ぃぉ もってぃたと考ぇられてぃます
そして 蓮ゎ 最近知ったのデスが
修行としての 焼身行為
「焼身行」も 一部で行ゎれてぃて
その場合 主に腕の部分ぉ 束ねた線香や蝋燭で 長時間に渡って焼くのだそぅで
こちらが 実際に 「焼身行」ぉなさった僧侶が残した 言葉になります
『せめて、み仏の衣の裳裾のはしでもよいからおがみたい。 ~[中略]~ ただそれだけでもいゝ。それだけにでも接することが出来るならばと願って、命がけの唱題修行に入りました。 夜ごとお堂のそばの河の中では胸まで水中につかり、河から上ってはそのまゝお堂の前の砂利の上に坐り、お堂の内では吹きさらす板敷の上で、それぞれ自我偈五十巻を読誦しては、血をはくようなお題目を唱えました。 五十日たちました。 何のきざしもありません。そして一日一日が過ぎて行きます。 苦行のつらさよりも時間のたつことが、身を斬られるような思いでした。 とうとう結願までの三十五日間、断食し、その中の二十八日間、五百本のローソクを左腕にたてゝ腕を焼きはらう 焼身行を決行しました。』
なんとゆぅ激しさ 執念でしょぅ
ただ この僧ゎ この後 こぉも綴ってぃて
行(修行)に対する 各宗教上での違ぃゎぁるのでしょぅが
ぁくまで 凡人、世人として生きる蓮デスので
続けて綴られた言葉の方に 深く考ぇさせられたのでした
『その時の私を救ってくれたものは、百日間の私の修行を、人伝えに聞き知った村人たちが、或は薪をかつぎ、或は終戦直後の食糧も乏しい中にニギリメシをつくっては、三々五々に供養しに来てくれる人の情けでした。 そして、こうした供養をうける中に気付いたことは、「滝の行、河の中の行、石の上の行、或は断食の行、焼身行などという 超人的な難行苦行よりも、 一番むずかしい行は 人を敬う行であり 懺悔の行である。 懺悔の心を以て人間礼拝に徹する行こそ、最も尊い行であって 今までの私の行は間違っていたということでした。』
「奇譚クラブ」ぉ 読むのが 好きデス
小説や
そこに添ぇられてぃる 責め絵や縛り絵
古ぃ時代の緊縛写真など
蓮の惹かれて止まなぃものが 咽かぇるほど 溢れてぃます
なかでも とくに好きなのゎ
意外に思ゎれるかもしれませんが 『目次』のページなのデス
そこにゎ 端的で 魅惑的な言葉が並び
その言葉ぉ見てぃるだけで クラクラとして
そんなとき 膝と膝ぉキツく閉じ合ゎせ
女の奥の方ぉ絞れば それだけで イクことができます
ぁる日 昭和29年発行「奇譚クラブ」の目次ぉ見てぃるとき
こんな見出しに 蓮ゎ 釘づけになりました
折檻 [鞭打ち、灸責め、煙管責め、海老責め] 南川和子・画
そして すぐさま そのページにて こちらの絵にめぐり合ぃました
蓮にとって ぁまりに生々しぃ この折檻…
ただ
絵の中の男が持つ線香ゎ 灸ぉぁぶるためのもので
直接 肌に 線香の火ぉ 押し当てられる蓮ゎ
「灸責め」でなく 「線香責め」でしょぅし
煙草の火で 肌ぉ灼かれますが 煙管でゎ まだぁりません
(蓮ゎ昔 女郎の持つような 赤ぃ 女物のキセルぉ 父に贈ったことがぁります)
(そのキセルが 頭から離れなくなって ふるぇてふるぇて しよぅがなぃのデス…)
蓮にとって ぁまりに生々しく 恐ろしぃ こちらの絵デスが
書き込まれた線が 非常に少なぃ上
描かれてぃるのが 地味で陰湿な折檻デスので
ぁまり興味ぉ惹かれなぃ方も 少なくなぃはずデス
南川和子につぃてゎ
昨年9月に亡くなられた 濡木痴夢男先生が
先生の著 『「奇譚クラブ」の絵師たち』の中で 取り上げてぃらっしゃぃますが
その一字一句が 本当にその通り。。。 としか 言ぇなぃほどで
また それ以上の言ぃ回しなど 今の蓮にゎ 到底無理なことデスので
不躾でゎぁりますが 一部抜粋にて引用し 紹介させて頂きます
『そして、状況としては、形としては一応は縛られているのだが、その縄の量が極端に少ない。したがって、これは緊縛画ではなく、あきらかに「責め絵」なのである。』
『喜多玲子の画は、縄の存在が大きく、縄そのものに描き手の意思や欲望がこめられていて、それゆえに、「緊縛画」とか、「縛り絵」と呼ばれる。南川和子の場合は、縄の表現に、それほどこまかい神経は使っていない。』
『苦悶に悶える女の姿態、表情、そして髪の毛の乱れに欲望をそそぎこんでいる。ずばり「責め絵」と呼ぶべきなのであろう。あるいは「苦悶絵」と称してもいい。』
『女の心を踏みにじり、抵抗を封じ、無理やり苦痛を与えるといった、強い虐待の意思がみえる。』
『女の肌へ針を突き刺すとか、お灸をすえて火をつけるとか、髪の毛を引っ張るとかの、女体への局部的苦痛と、さらに肉体そのものを極度に屈曲させ、あるいは反転させて固定することを「責め」の目的としている。』
『それゆえに南川和子の責め絵は、縄を無駄なく、少なく効果的に使って虐待への意思を高めている。』
『相手の女に、被虐の快楽とか、陶酔感を与えずに、ただ苦痛のみを加えたいという願望から表現された画であるがゆえに、独特のきびしい、残酷な迫力が生まれるのである。』 (濡木痴夢男著『「奇譚クラブ」の絵師たちより』)
オビエル レンヲ タタイテ オニンギョウニ シテ ユックリ ソレカラ ヤク
数年前の人気ドラマ 『JIN』 の 作中でも 描かれてぃた 釣責ゎ
江戸時代 法の中で認められた 拷問デス
牢問での責苦にも 白状しなかった容疑者ゎ
ぃよぃよ 釣責にかけられるのデスが
技法としてゎ
その容疑者の 両手に
手首の 肉と皮が 剥けなぃよぉ 紙と藁ぉ 巻き
後ろ手に縛って
高ぃ場所から 吊り下げる とゆぅもので
腕が 急激に捻じれ上がって 骨が折れなぃよぉ
余った縄ぉ 胸に回して固定するナド
工夫されてもぃました
近年まで この様相ぉ呈した 法に依らなぃ拷問ゎ 世界各地でみられ
もちろんそれゎ
極端な差別主義に囚ゎれた狂人の 鬼畜な行ぃ でしかぁりません
蓮の 恋ぃ焦がれる 吊り責め と 拷問でしかなぃ 釣責 …
ご覧になる方にゎ まったくの別物と 映るのでしょぉか
それとも やはり
鬼畜な行ぃ なのでしょぉか