Blog

さんせい太夫(安寿と厨子王) の文中

 

「それにも更に落ちざれば、三つ目錐を取り出だし、膝の皿を、からりからりと揉うで問ふ」 と 描写された

安寿がかけられた 拷問の一つが気にかかり 色々調べてぃったところ

 

牛若丸(義経)ぉ守るが為 同じ様に 拷訊された 午王ノ姫の物語の挿絵に

たぶん それと近ぃものぉ 以前見つけたのデスが

 

この挿絵ぉ よく見てみますと

拷問道具として使ゎれてぃるそれにゎ「矢羽」がつぃてぉり

「三つ目錐」(先端が三角錐のキリ) でゎなく

明らかに 飛び道具としての「矢」 そのものなのデス

 

resize1214

 

蓮ゎ そのことに ずっと引っ掛ってぃました

 

古ぃ時代のことぉ探るのゎ こんな時代でぁっても そぉ簡単にゎゆかず

ただ だからこそ 蓮の興味も 留まることぉ知らずに

ふと思ぅ疑問が 着地するまで しつこくたどる日々デス

 

 

からりからり… と 安寿や午王姫の小さな白ぃ膝に 残酷に突き刺されたものゎ

「三つ目錐」だったのか 「矢」だったのか

 

 

蓮ゎ より充実してぃると思ゎれる 義経側の資料から 探ることにしました

 

すると 国文学者でぁり 東京大学文学部名誉教授の島津久基氏が 1935年に ぉ書きになった【義経伝説と文学】 (http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_yositune_index.html) の中に 興味深ぃ一文ぉ 見つけました

 

 

「鎌田が妹牛王姫との恋に至っては、愛人の為に水責・火責はおろか、蛇責・矢鏃責の苦をも甘んじて受けた末、終に命まで捧げさせて朝日天女に劣らぬ愛と忠との強さを示させた。」

 

 

本編第一部 第一章[義経伝説の四大要素] 第二節「義経伝説の中枢人物」にぁります この一文でゎ

與七郎正本(明暦二年、1639年刊) 佐渡七太夫伝説 (寛永十六年、1656年刊) ともに

「三つ目錐」と表記されてぃるものぉ

島津氏が 「矢簇」と解釈

 

そして その道具での拷問ぉ 『矢鏃責』と 記してぃます

 

 

思ぇば古代 弓矢の先端にゎ「石錐」が使ゎれてぃたと言ぃますし

「三つ目錐」と聞き

蓮が最初に浮かんだ 大工道具のよぉなものでゎなくて

先が三角錐状の その「矢」の先端部分ぉ表ゎすのに 「三つ目錐」と言ぃ表したのでゎなぃのか と そぉ解釈しました

 

つまり 挿絵の 見たまま通りと

 

 

しかし 『矢鏃責』とゎ。。。

 

「責」とゆぅ一文字ぉつけさぇすれば なんでも「責め」になってしまぃそぅで

日本人の根底に流れるサディズムゎ 結構キツぃのかもしれません

 

resize1210

resize1211


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です