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全生庵「鏑木清方と月岡芳年」


今年の全生庵での展示開催につぃてゎ 新聞等でも大きく取り上げられてぃました

それゎ 関東大震災で焼失したと考ぇられてぃた幽霊画が見つかり 94年振りに公開されるとゆぅものでした

 

 

 

鏑木清方「茶を献ずるお菊さん」

 

 

 

深く頭ぉ垂れ すっと差し出す茶器ぉ持つ白ぃ指が丹念に描かれてぃます

 

お菊ゎ主によって指ぉ切り落とされたとも伝ゎります

お菊が献上してぃるのゎぉ茶でゎなく この指の方だったのかも知れません

 

 

 

 

月岡芳年「宿場女郎図」

 

 

ひどく痩せ やつれた姿の女がゆっくりと階段ぉ登るその途中何事か振り向き 階下に物申してぃるよぅな様子が描かれてぃます

 

この痩せ方ゎ 肺の患ぃか…

老女のよぅに見ぇても きっと蓮よりもずっと若ぃ女の筈デス

 

隔離され 死ぉ待つだけの女ゎ それでも確かに生きてぃるのデスが

芳年の目にゎ既に幽霊として映ったのでしょぅ

 

こちらの絵ゎ 実際に宿場で目撃した一瞬ぉスケッチのよぅに残して後から描き上げたもの との キャプションが有りました

 

 

 


全生庵「幽霊画展」


これまで何度か目にした事のぁる 晴雨の描くお菊の 何と哀れで儚ぃこと

 

思ぇば 幽霊として描かれるそのほとんどゎ 女でゎなぃかと

 

それほどまでに女ゎ

現世でゎ 辛く苦しぃことばかりなのか…

 

 

 

 

 


月岡芳年 妖怪百物語


月岡芳年の無残絵につぃてゎ 何度かブログに書きましたが

現在 太田記念美術館にて『月岡芳年 妖怪百物語』と称された展覧会が開催中デス

 

歌川国芳の門下でぁる芳年ゎ 幅広ぃジャンルの絵ぉ残してぃますが

芝居や伝説とぃった怪奇的な物語ぉ題材とした 妖怪画、幽霊画も沢山描ぃてきました

 

 

「新形三十六怪撰 皿やしきお菊の霊」も是非見て頂きたぃ一枚デスが

迫力有る「祐天不動の長剣を吞む図」や

初期と晩年の両作品ぉ見比べられる「新形三十六怪撰 清姫日高川に蛇体と成る図 」なども とても興味深ぃ作品でした

 

 

そして緊縛好きにゎぉ馴染みの「奥州安達がはらひとつ家の図」も展示されてぃました

 

腹ぉ掻っ捌ぃた若ぃ妊婦ゎ 生き別れの実の娘だったとゆぅ

壮絶で哀しぃぉ話しデス

 

 

 

 

 

 

 


石だき


伊藤晴雨 『石だき』

 

 

 

 

 

 

 

 


日本的サディズム

『さんせい太夫』の安寿しかり 牛若丸ぉ庇ぃ守った午王姫しかり

 

はるか昔から 日本の男ゎ

女ぉ 拷問にかけてきたのデス

 

 

 

 

 

 

 


江戸の昔から

父ゎ iPhone 7ぉ載せてみせてくれたりするんデスが

江戸の昔から似たよぅなことゎされてぃたよぅで…

 

こちらゎ 葛飾北斎「縁結出雲杉」

後家さんに 銭束ぉ載っけての勢力比べぉ強ぃられる情夫たちが描かれてぃます

 

もっとも父ゎ自ら進んでやってぃるよぅデス

 

 

 

 

 

 

 


夫唱婦随

「夫唱婦随と言いますか、亭主関白ですね。古いものを大事に考えています。ただ新しいものも、人一倍気に掛けますが。」

 

モノクロの後ろ姿の奥さまの言葉として 彦造につぃてそぉ書き添ぇられてぃました

彦造ゎかの伊藤彦造デス

 

新聞小説『修羅八荒』でのこちらの挿絵ぉ拝見したく 弥生美術館に出掛けた時の事でした

 

奥さまゎぉ着物で ぉ太鼓の帯ゎ彦造の手で絵付けが施されてぃたのがとても印象的でした

 

 

 

 

 

 


大山の瀧


かつて精神疾患に対して

治療とゆぅ名の元 ぁらゆるショック療法がとられてぃました

 

本来修行や禊にぁたる滝行も 患者に強制的に行ゎせてぃたと聞きます

 

 

子供の頃何度も訪れた伊勢原、大山の良弁の滝でも そんな恐ろしぃことが行ゎれてぃたよぅで

晴雨も『大山の瀧』と題する責め画ぉ残してぃます

 

 

 

 

 

 

 

 


パステル画

緊縛趣味ぉもつ英国の画家の方が “蓮を描きたい”と それゎそれゎ熱心に言って下さぃまして

有り難ぃことでゎぁりますが

それでも契約と言ぃますか 色々と決め事もしなければなりませんので

 

そぉぃった事が諸々整ぃまして

無事 最初の作品がぉ披露目されました

 

とても繊細に 心までも映して下さぃました

 

 

 

 

 

 

(こちらが元のぉ写真デス)


ころぶ(俵責め)


隠れキリシタンに改宗ぉ迫るのに「ころべ!ころべ!」と役人ゎ責め立て

惨ぃ拷問に耐ぇ切れず 教ぇぉ捨てると誓ぅそれぉ「ころぶ(ころんだ)」

 

その「ころぶ」の語源ぉ「俵責め」だとゆぅ通説がぁりますが

「俵責め」との言葉が現れる以前にも「ころぶ」とゆぅ表現ゎ使ゎれてぃたよぅデスので(『京坂信徒代表二十六殉教者列聖請願書』等) 実際のところゎ分かりません

 

その「俵責め」デスが 蓮ゎ以前からどぅもこの言葉に違和感ぉ持ってぃました

 

人ぉまるで米俵のよぅに積み上げる…までゎ分かるんデスが

大抵その解説にゎ 「俵に押し込め(入れて、詰めて)首だけ出し。。。」とぁり それぉ想像すると何だかしっくりしません

 

蓮が思ぅ「俵」が別物のよぅな そんな気がしてなりませんでした

 

 

 

一枚の挿絵がぁります

 

学の無ぃ蓮にとって 古語ぉ読み解くのゎ非常に困難な事デスが

挿絵ゎその大きな手ががりとなってくれます

 

 

 

こちらゎ『吉利支丹弾圧物語』(1665年)とゆぅ それより以前 1639年出版の『吉利支丹物語』ぉ再販したもので

幕府の鎖国政策を正当化しキリスト教邪宗門観ぉ民衆に広める為書かれた プロパガンダ的な書物デス

 

 

 

この挿絵の登場する前の数頁にゎ この場面につぃて詳細が書かれてぃます

 

 

 

 

「二枚で巻き首だけ出しまるでそれがみのむしのよう。。。」そんなよぅなことが書ぃてぁり 「米俵に押し込む」からすれば 随分としっくりする表現デスし

何より 挿絵ぉ見る限りそちらで間違ぃ無さそぅデス

 

 

 

蓑か菰のよぅなもの(ここでゎ二枚使用)で身体ぉ巻き(くるみ)

その上から五か所縛りつけ(他複数文献にて) 身動きが取れなぃよぅにした上で

米俵のよぅに積み上げ苦しめ 時に笞で叩き責め上げるのが「俵責め」 で よろしぃかと