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黄表紙の中の駿河問ぃ


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何度か ブログ記事にもしてぃますが

史実として 「駿河問い」がぁったのか無かったのか 継続して調べてぃます

 

 

これゎ とぁる方と 合同での調査なのデスが

合同とゎ言っても 机ぉ並べてする とぃったものでゎなくて

それぞれが別のソースから入手した資料ぉ ぉ互ぃに提供し合ぃ

またそこからたどって知った事実ぉ ぉ返しして 真実に近づぃてゆく・・・ とゆぅもので

 

調べれば調べるほど

元とした資料そのものの信憑性さぇ怪しくなるとゆぅことも少なくなぃ

実に困難な事案となってぃます

 

 

 

一枚のPDFファイルが手元にぁります

 

先の方が『異端文藝』の記事中に見つけた記事ぉファイル化して 蓮に提供して下さったものなのデスが

たぶん 無残絵につぃてどなたかが書ぃた記事に

黄表紙との中の挿絵と思ゎれる 駿河問ぃの様相の古ぃ絵が見られるのデス

 

 

そちらの絵ぉ見たとき 蓮ゎひっくり返るほど驚き 提供して下さったその方にぉ礼ぉ言ぃました

 

もちろん そこでぉしまぃでゎぁりません

 

『異端文藝』のその記事の裏ぉとる必要がぁります

 

何しろ たった1ページの そのまた一部分だけのファイル資料なので

ヒントとなることが非常に少なく とても苦労ぉしましたが

 

「敵討長太郎柳」とゆぅ 仇討ものの黄表紙までたどり着きました

 

 

黄表紙とゎ江戸時代中期の草双紙で 表紙の色が黄色(萌黄色)でぁるところからそぉ呼ばれてぃます

 

従来の黒本、青本ぉ脱し 風俗・世相ぉ取り上げ大人向けにした読み物で

恋川春町の『金々先生栄華夢』が最初のものだと言ゎれてぃます

 

 

その黄表紙「敵討長太郎柳」ぉ探すのに困難ぉ極めました・・・

 

 

極めましたが 見つけ出しました!

 

 

しかし 肝心のぁの挿絵がどこにも見当たりません

 

完全版のものでなぃのかも・・・と

二つの大学 及び 国会図書館のものも照会しましたが やはり見当たりません

 

 

調査ゎ振り出しにもどり 今だ継続中デス

(なので まだその挿絵ゎ公開できません)

 

 

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宝蔵寺


江戸時代

嫌疑の者ぉ引っ立てる為の 捕縄として使ゎれたのゎ 麻縄

 

 

 

それも 正式なものとして支給されたのゎ

三州(三河)宝蔵寺の 麻縄でした

 

 

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その辺りゎ 上質な麻の産地で

農民がそれぉ用ぃて作った丈夫な草鞋ゎ 宝蔵寺で安全祈願されたのち売られたことから

旅人に大変人気がぁったよぅデス

 

 

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Bonsai

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文化や武道 芸事や 嗜みの中に根付く

制限され 不自由な環境下での様式美に

 

欧米とゎまた違ぅ

日本人の持つSM観にも似たものぉ感じることがぁります

 

少なくとも蓮ゎよくそれぉ感じてぃます

 

 

 

先日も 盆栽作家の大家が取材でぉ答ぇになってぃた言葉に

蓮ゎ 想うところがたくさんぁりました

 

 

 

その方ゎ こんなぉ話しぉされてぃました

 

 

盆栽ゎ 躾でぁり 教育でぁると

 

 

冬の雪の重みで 枝がグイと沈む辛さ それぉ 人の手によって(人工的に)与ぇ

 

じっとじっと我慢させ

 

やがて春がきて 再び上ぇと枝ぉ伸ばし(人工的に向きぉ変ぇる) その先ぉ芽吹かせる・・・

 

 

生きる苦しさぉ教ぇ 躾し 育てる内に

美しさと生命力ぉ見せる 素晴らしぃ盆栽になるのだと言ぃます

 

 

 

日本人の根底にぁる 求める様式美ゎ

不自由な環境下 だからこそ 生まれるものなのかも知れません

 

 

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灸責愉楽


蓮の こちらのサイトにご訪問下さるのゎ

「知っていて」アクセスして下さる方以外にも

 

何かの言葉ぉ検索した上で ヒットした中からたまたま選んで閲覧される方も少なくぁりません

 

 

実ゎ その“何かの言葉”が 実際何だったのかゎ

アクセス解析で知ることができるのデスが

 

緊縛、捕縄、縛りに関する語彙の他で よく見かけるのが

「灸 折檻」

「やいと 折檻」

 

「灸」ぉそのまま 「やいと」と読む(言ぅ)地方もぁるよぅデスので

入力する言葉ゎ違ぇど 同じ内容ぉ探してぃらっしゃるよぅデス

 

 

 

この言葉ぉキーワードに 検索した結果 こちらぉ閲覧して下さる方が増ぇたのゎ

蓮が以前 南川和子 の挿絵ぉご紹介するブログ記事ぉ更新した後からで

 

今でゎ ほぼ毎日どなたがその言葉が元で

ご訪問下さるほどデス

 

 

ぉ灸(やぃと)とゆぅものに 性的な衝動から執着する方がそれほどぃるとゎ思ぇませんでしたが

調べなければ気の済まなぃ蓮デスので

古ぃ雑誌などからの資料等 見直してみたところ

 

かなりの数の小説、告白文、挿絵、グラビア写真が 「灸責め」ぉ題材として存在してぃたことに驚かされました

 

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蓮が 父にされる折檻ゎ

ぉ灸でゎなく

煙草の火や 線香での折檻なのデスが

 

本当に とてもとても辛ぃデス

 

 

 

 

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荒縄と麻縄


先日の 六本木クロウさんでのトークショーの際

縛友会総代のぉ話しのなかで

「麻縄はいつの時代の頃から使われるようになったのだろうか?」とゆぅものがぁりました

 

 

日本にぉける道具としての麻縄の歴史ゎ

古くゎ縄文土器のその模様も 麻縄でつけられたと言ゎれてぃます

 

緊縛嗜好の方にゎ すでに一般常識として

江戸時代に法律としても整ぇられた

捕縛(容疑者ぉ捕ぇる)のさぃに用ぃられたのが麻縄だったと知られてぃますし

 

そこから

各種きちんと意味合ぃぉ持たせ

様式美さぇ感じられる様々な形ぉ生み出した 武術としての捕縄術でも 麻縄が使ゎれてぃます

 

 

余談デスが 江戸のむかし 旅人が旅支度として携帯した道具の中にも 麻縄ゎ必ず含まれてぃたそぅデス

 

また 距離や土地の広さぉ測る測量の道具としても

伸縮ぉ防ぐため渋汁が塗られた 麻縄が使ゎれたそぅデス

 

 

このよぅに 日常か非日常かゎ別にしても

道具としての麻縄ゎ かなり前から日本人にゎ馴染みがぁったようデスが

 

総代が仰るのゎ

艶事としての・・・

 

性的嗜好として麻縄が使ゎれ出したのゎ ぃつ位の頃からだったのだろぅとゆぅ疑問デス

 

その時ゎ「そんなに昔じゃ無いはず。」 と 言及ゎ避けてぉられました

 

 

 

蓮の手元の古ぃ雑誌ぉ紐解くと

古ければ古ぃほど 麻縄、荒縄 そのどちらの緊縛写真も混在してぃて

 

ただ 荒縄で縛ったものゎ 『晴雨風』と言ぃますか

そぉゆぅ演出的な効果ぉ狙ったもののよぅに感じられもしますので

雑誌が出版された当時 一般の愛好家の皆さま方が どちらぉ主に用ぃてぃたのかゎ 実際のところゎゎかりません

 

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(昭和30年発行某雑誌より)

 

また 『晴雨風』と言ぅと“荒縄” とのイメージが強ぃのデスが(蓮も真っ先に浮かびます)

 

晴雨が残したぉ写真のほとんどぉ占める荒縄での縛りと一緒に

なめされた麻縄での緊縛写真も もちろん存在してぃますので

 

この件につきましてゎ まだまだ調べてゆく必要がぁると思ってぃます

 

 

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畜犬具


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「ペット用品」との言葉が 使ゎれ出す以前ゎ

 

「畜犬具(畜犬用具)」との呼称が 一般的だったよぅデス

 

 

 

「畜犬具」のほぅが ナンだか SM的。。。

 

 

 

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本日、3/15(日) 『秘密倶楽部第十一回公演 「おんな祭りvol.5」』

小雪ちゃんが 雪ちゃんぉぉ相手に 出演致します

 

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國民新聞『明治拷問史』


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日本国内に於ぃて 明治の初めの頃にぁっても

「拷問」ゎ 法律で認められた一つの取り調べ方法でした

 

1916(大正5)年5月29日発行の『國民新聞』の中で

こんな興味深ぃ記事ぉ見つけました

 

 

法学博士でぁる花井卓蔵氏による

当時の 拷問とゆぅ手法ぉ使った取り調べと それぉ許してぃた司法ぉ断罪する内容の記事デス

 

 

 

「明治の初年に於ては拷問も一の公なる審訊の方法であった。

此法律には明かに拷問を認め、その責道具として訊杖と云うものをさえ記し詳細な説明をも掲げている。 

 

 『凡訊杖は竹片三個を内合して円形に成し其園曲尺五分両頭太さ一の如く長さ三尺禾藁を以て竪に之を裹み小麻縄を以て密に横転す偽証明白なるに招承せざる者を拷訊す』 

 

即ち割り竹を削って丸く合せたものを藁でつつみ、細引で巻きつめたもので罪を犯し臓証の明白なるにも拘らず白状しない場合に用いたのであった。

 

更に明治六年算板と云う刑具さえ設けられた。」 (國民新聞1916、5、29法学博士花井卓蔵『明治拷問史』より抜粋)

 

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江戸の時代のぉ話しデスと

どこか 時代劇ぉ思ゎせるよぅな ぉ芝居のなかの出来事のよぅな

そんな 自分とゎ遠く 隔たりがぁることのよぅに思ぅこともぁりますが

 

このよぅに 文明としての代表的なメディアでぁる 公の新聞記事として目にする「拷問」ゎ

たとぇ 言葉(文字)だけでぁっても 十分に蓮ぉ震ぇさせます

 

 

しかも 『算盤』。。。

 

『十露盤』まで。。。

 

 

休符③

 

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高手小手/三宅荻野謀反事付壬生地蔵蔵(太平記、巻第二十四)より

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現在使ゎれる緊縛の名称ゎ 新しぃものも もちろんぁりますが

基礎となるよぅな形、技法ともなると

大方が 捕縄術での呼称からきてぃることが多ぃよぅデス

 

そのよぅな名称ぉ 史実に基づく文献や古典芸能、古ぃ時代の物語のなかで見つけ出すことができたとき

蓮の心ゎ ざゎつき高揚するのデス

 

 

 

『三宅荻野謀反事付壬生地蔵蔵』ゎ 古典文学「太平記・第二十四巻」に納められてぉり

一部ぉ要約すると このよぅな物語になります

 

 

“備前の三宅高徳ゎ 新田義治ぉ呼び寄せ 丹波の荻野と共に反旗ぉ翻そぅと企てました

ところがその事が幕府側の知るところとなり 高徳ゎ 京都での幕府要人の暗殺に切り替ぇ都に行きます

しかしその計画も漏れて 反対に幕府の夜討に全滅してしまぃます

その中で 武蔵の国の武将香勾高遠ただ一人敵ぉ突破して 壬生の地蔵堂に隠れた際

そこにぃた法師が 高遠の持つ血の付ぃた太刀と数珠とぉ取り替ぇ 高遠に持たせ

参詣の者と思ゎせて追手の目ぉかゎしたのデスが

その代り 法師が捕ぇられ連行され 狭ぃ牢に閉じ込められてしまぃます・・・”

 

 

そこのくだりで二度 「高手小手」との言葉が登場します

 

 

『只仏壇の内天井の上まで打破て探せと許ぞ罵りける。

爰に只今物切たりと覚しくて、

鉾に血の著たる太刀を、袖の下に引側めて持たる法師、堂の傍に立たるを見付て、

「すはや此にこそ落人は有けれ。」とて、抱手三人走寄て、中に挙打倒し、

高手小手に禁て、侍所へ渡せば、所司代都筑入道是を請取て、詰篭の中にぞ入たりける。』

 

~[中略]~

 

『さては如何様非直事とて、壬生の地蔵堂の御戸を開かせて、本尊を奉見、

忝も六道能化の地蔵薩埵の御身、所々為刑鞭黒、

高手小手に禁し其縄、未御衣の上に著たりけるこそ不思議なれ。』

 

 

閉じ込められてぃた筈の法師の姿ゎどこにもなく

芳しぃ香りだけが漂ぅばかりで

 

 

ただ事でなぃのぉ感じ

壬生の地蔵堂の扉ぉ開け ご本尊ぉ見つけると

 

そこにゎ 鞭刑ぉ受けた血の痕なのか ところどころが黒ずみ

衣の上から高手小手にかかった縄がそのままの菩提薩埵が 立つだけだったゆぅことデス

 

 

この場合の「高手小手」ゎ

「後ろ手に廻した両手首ぉ合ゎせて縛り 頸(頸)及び二の腕に縄ぉかけ縛る」とぃったよぅな

捕縄の基本のよぅな形ぉ指してぃると思ゎれ

 

現代のよぅに 必ずしも胸縄がぁったゎけでゎなぃよぅに思ぃます

 

 

緊縛の技法、その名称が ぃつの時代から使ゎれてぃるのかぉ紐解ぃてゆくことも

蓮にとって 緊縛ぉ知ることの側面でもぁります

 

 

【参考資料『Wikisource/太平記/巻第二十四』】

 

 

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「江戸時代の罪と罰」

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処刑 そのものより 死後の亡骸の処遇に 罪の重さぉ科すところ等ゎ

残酷な中でも 日本人の持つ “恥”の文化ぉ 感じたりします (蓮ブログ「二ツ橋刑場」より)

 

 

 

先日 国立公文書館で開催中の

平成26年特別展「江戸時代の罪と罰」ぉ 拝見してきました

 

 

公事方御定書ぉ始め

 

幕府の法令集や判例集

当時の死刑と冤罪の問題

法医学の古典

 

江戸時代の牢獄の様子なども

小伝馬町牢屋敷の実情ぉ示す文書や絵図の展示でそれぉひも解くよぅな

 

ゎかりやすぃ 充実の展示内容でした

 

 

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犯罪と刑罰(罪と罰)に関する展示ゎ

 

オリジナルのもの以外にも

大きく引き伸ばされたパネル展示や 系統立てて取り纏められたものなどもぁって

見やすく とても工夫がされてぃました

 

 

 

江戸時代の処刑(死刑)ゎ 現代とゎ違ぃ 種類がぁり

 

首ぉ刎ねる(のみ) の 【梟首(きょぅしゅ)】

 

別名、晒首の 【刎首(ふんしゅ)】ゎ 

公儀に対する重ぃ謀計、主殺し、親殺し、関所破り等の重罪に科せられもので

刎ねた首ぉ 街道沿ぃの刑場に 三日二夜晒し その後 その首ゎ棄てられました

 

 

【死罪】ゎ

首ぉ刎ねられた後 その死骸ゎ 様斬(ためしぎり)に使ゎれ 財産もすべて没収されるとゆぅもので

 

火罪や磔刑等の 処刑方法の違ぃとゎ別に

処刑後の亡骸に対してどんな仕打ちぉするのか・・・

 

“それも含めての生命刑”としての罰だったと言ぇます

 

 

 

三奉行や火付盗賊改が

罪人に申し渡す刑につぃて 老中の指図ぉ仰ぐために提出した 『仕置伺(しぉきぅかがぃ)』にゎ

 

「死罪可申付候哉(死罪が妥当かと思ゎれます)」 との記述や

 

ぁまりに酷ぃ所業上死罪よりもっと重ぃ刑に処したい との記述も見られ

 

江戸の時代にぉぃてゎやはり

死ぉもってしても(死ぬだけでゎ)償ぇなぃ罪がぁり

 

また 死そのものよりも 

どんな死に方ぉするかに重きぉ置く 当時の日本人の死生観ぉ ぁらためて垣間見たよぅデス

 

 

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轢殺 『無残美展』より


ヴァニラ画廊にて開催中の 『無惨美展~残酷百景』

 

 

伊藤晴雨の責め絵のほかに

蓮が とても魅入られた 恐ろしぃ絵もぁりました

 

狂気としか言ぃよぅのなぃその絵ゎ

蓮が 父に犯されるその時、その時間に ぃつも 感じてぃたそのままで

 

その作家さまにつぃてゎ 別の機会にご紹介するつもりデス

 

 

 

展示室の 壁面ぐるりと一周

13名の出展者さまによる 「無惨美」ぉイメージした絵や 立体物が展示されるなか

部屋のほぼ中央に ガラスケースが置かれ

 

手が触れられなぃよぉにされたその中に

 

奇譚クラブも収められてぃました

 

 

その奇譚クラブゎ とぁるページで開かれ 展示されてぃて

ケースの中にぁるだけに その先ぉ見ることゎできません

 

 

それゎ 今年の夏 三日間に渡って こちらの蓮ブログでもご紹介しました

絵師、畔亭数久の作品

 1954年4月号奇譚クラブ掲載の

「轢殺~鉄路に散る二輪の花~」 その扉の絵でした

 

 

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轢殺とゆぅ題字から その続きぉ 十分に想像させるよぉな

良ぃ展示方法だと 蓮ゎ思ぃました

 

 

 

その先が ぉ知りになりたぃ方のために

過去のブログ記事のリンクぉこちらに貼りますので

よろしかったら ご覧くださぃ

 

 

「あたしをだましたのね」

舞妓/畔亭数久昨

轢殺〔鉄路に散る二輪の花〕/畔亭数久 

 

 

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